大阪地方裁判所 平成8年(ワ)7358号 判決 1998年4月30日
ベルギー国二三四〇ビールセ・トウルンホウト・セバーン三〇
原告
ジャンセン・フアーマシューチカ・ナームローゼ・フェンノートシヤップ
右代表者
ダーク コーリエ
右訴訟代理人弁護士(平成八年(ワ)第七三五八号事件
被告大正薬品工業株式会社に対する関係を除く)
品川澄雄
吉利靖雄
右訴訟復代理人弁護士
滝井朋子
右訴訟代理人弁護士(平成八年(ワ)第七三五八号事件
被告大正薬品工業株式会社に対する関係のみ)
堀裕
大阪市淀川区西中島五丁目一三番九号
平成八年(ワ)第七三五八号事件被告
共和薬品工業株式会社
右代表者代表取締役
杉浦好昭
大阪市旭区赤川一丁目四番二五号
同事件被告
沢井製薬株式会社
右代表者代表取締役
澤井弘行
大阪府池田市豊島北一丁目一六番一号
同事件被告
鶴原製薬株式会社
右代表者代表取締役
鶴原三郎
大阪市西区北堀江一丁目一番一八号
同事件被告
帝国化学産業株式会社
右代表者代表取締役
長瀬英之助
大阪市中央区道修町二丁目二番七号
同事件被告
菱山製薬株式会社
右代表者代表取締役
生地義明
滋賀県甲賀郡甲賀町大字大原市場三番地
同事件被告
大正薬品工業株式会社
右代表者代表取締役
増井謙治
徳島市国府町府中九二番地
平成九年(ワ)第一八一一号事件被告
長生堂製薬株式会社
右代表者代表取締役
播磨久明
右七名訴訟代理人弁護士
田倉整
辰巳和男
内藤義三
右補佐人弁理士
高田修治
大阪府門真市松生町三番八号
平成八年(ワ)第七三五八号事件被告
東和薬品株式会社
右代表者代表取締役
吉田逸郎
右訴訟代理人弁護士
花岡巖
新保克芳
主文
一 原告の平成八年(ワ)第七三五八号事件各被告及び平成九年(ワ)第一八一一号事件被告に対する請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求の趣旨
一 平成八年(ワ)第七三五八号事件各被告及び平成九年(ワ)第一八一一号事件被告(以下、単に「被告ら」という)は、別紙物件目録記載の物件(以下「ドンペリドン」という)を有効成分とする医薬品(以下「被告製剤」という)を製造し、右被告製剤を販売してはならない。
二 被告らは、被告らの所有するドンペリドン及び被告製剤を廃棄せよ。
三 被告らは、被告らの申請によってなされた薬事法に基づく被告製剤に対する製造承認につき、厚生大臣に対し製造承認の整理届を提出せよ。
四 被告らは、厚生大臣に対して前項の被告製剤について健康保険法に基づく薬価基準収載の削除願を提出せよ。
五 被告らは原告に対し、被告らが被告製剤について厚生大臣の製造承認を得るために被告製剤を用いて試験を行って得た試験データ及びその他の資料を返還せよ。
六 仮執行の宣言
第二 事案の概要
本件は、既に存続期間が満了した特許権を有していた者で、その特許発明の実施品である化合物(ドンペリドン)の原末をわが国に輸出している原告が、右特許権の存続期間満了後直ちにドンペリドン製剤の後発医薬品(被告製剤)を販売するため、被告らが存続期間中に後発医薬品について製造承認を得るのに必要な資料を調える目的をもって、右特許発明の技術的範囲に属するドンペリドン及びこれを含有するドンペリドン製剤を使用して規格に関する試験、加速試験及び生物学的同等性に関する試験を行ったこと並びにそのためにドンペリドン及びドンペリドン製剤を製造したことは、右特許権を侵害する違法なものであり、右違法な試験行為の結果を資料としてなした薬事法に基づく製造承認申請及び右特許権侵害行為を基礎としてなした健康保険法に基づく薬価基準収載申請も違法であり、更に、被告らが製造承認を得るためにドンペリドン製剤を使用して試験を行って得た試験データ及びその他の資料は法律上の原因なくして得た利益でありこれにより原告に損失を及ぼしたと主張して、特許権に基づく妨害排除請求権、特許権を含む産業的取引社会の公正な法秩序に基づく排除請求権又は発明の独占的占有に基づく不当利得返還請求権に基づき、ドンペリドン製剤の製造販売の差止め、ドンペリドン及びドンペリドン製剤の廃棄、厚生大臣に対する製造承認の整理届の提出、薬価基準収載の削除願の提出並びに右試験データ及びその他の資料の返還を求める事案である。
なお、被告東和薬品株式会社(以下「被告東和薬品」という)を除く被告ら(以下「被告共和薬品工業ら」という)は、原告の本件訴えのうち、特許権に基づく妨害排除請求権に基づく請求にかかる訴えは、原告の有する特許権が存続期間満了により既に消滅しており、実体審理をするまでもなく請求に理由のないことが明らかであるから、却下すべきであると主張するが、右主張は、存続期間満了による特許権の消滅を理由とする差止請求権の消滅ないし不存在を主張するものにほかならず、まさに本案請求の当否に関わる事項であり、訴えの適否の問題ではないから、右訴えは却下すべきものではない。
一 基礎となる事実(特に注記したもの以外は、当事者間に争いがない)
1 原告は、平成八年七月一九日の経過により存続期間が満了するまで、左記の特許権(以下「本件特許権」といい、その特許発明を「本件特許発明」という)を有していた。
(一) 特許番号 第一三六四八九五号
(二) 発明の名称 新規な1-(ベンゾアゾリルアルキル)ピペリジン誘導体
(三) 出願日 昭和五一年七月一九日(特願昭五一-八五二一六号)
(四) 優先権 一九七五年七月二一日及び一九七六年五月一七日の米国特許出願に基づく優先権
(五) 出願公告日 昭和六一年七月一七日(特公昭六一-三一一〇九号)
(六) 登録日 昭和六二年二月九日
(七) 特許請求の範囲 末尾添付の特許公報の一部(全四三頁中の第一ないし第三頁)の該当欄記載のとおり
2 本件特許発明の特許請求の範囲第1項記載の一般式において、R1、R2、R3に水素を選び、Bに<省略>を選び、更にLに水素を選び、m及びnを各1とし、基<省略>の示す式中R7に水素、R8に5位クロール、YにO、Mに水素を各選び、破線を単結合とした化合物が別紙物件目録のドンペリドンであり、強い制吐活性を有し、ドンペリドンを有効成分とする医薬品(商品名「ナウゼリン」。以下「本件医薬品」という)は、慢性胃炎、胃下垂症、胃切除後症候群等の疾患に対して細粒、錠、ドライシロップ、座剤として用いられる。
3 原告は、訴外協和醗酵工業株式会社にドンペリドンの原末を輸出し、同社は、これを製剤して広く市販しており、その売上額は平成七年度で約一八七億円(薬価基準ベース)に達している(弁論の全趣旨)。
4 被告らが製造、販売し、又は製造、販売しようとしている被告製剤は、本件特許発明の特許請求の範囲第1ないし第6項及び第9項の技術的範囲に属する(原告と被告東和薬品との間では争いがなく、原告と被告共和薬品工業らとの間では弁論の全趣旨により認められる)。
5 被告らは、本件特許権の存続期間満了後に本件特許発明の技術的範囲に属するドンペリドンを有効成分とする被告製剤を販売する意図で、その存続期間中に、被告製剤について本件医薬品の後発医薬品として厚生大臣による薬事法一四条所定の製造承認を得ることを目的として、ドンペリドン及び被告製剤を用いて次の(一)ないし(三)の各資料(薬事法一四条三項、同法施行規則一八条の三、昭和五五年五月三〇日薬発第六九八号厚生省薬務局長通知及び同日薬審第七一八号同局審査課長・生物製剤課長通知)を得るための試験(以下、それぞれ「規格試験」、「加速試験」、「生物学的同等性試験」といい、合わせて「本件各試験」と総称する)をし、その結果得られた資料を添付して製造承認申請をし、製造承認を得た上、薬価基準収載申請をして平成八年七月五日、同収載を受けた。
右製造承認申請日、製造承認日、薬価基準収載申請日は、それぞれ被告共和薬品工業株式会社については平成六年四月一二日、平成八年三月一五日、同年四月五日、被告沢井製薬株式会社については平成六年九月三〇日、平成八年三月一五日、同年四月五日、被告鶴原製薬株式会社については平成五年六月一五日、平成八年三月一四日、同年四月三日、被告帝国化学産業株式会社については平成五年一二月二四日、平成七年五月一九日、平成八年四月五日、被告菱山製薬株式会社については平成六年九月三〇日、平成八年三月一五日、同年四月四日、被告大正薬品工業株式会社については平成五年九月三〇日、平成八年三月一五日、同年四月三日、被告長生堂製薬株式会社については平成六年一二月二一日、平成八年三月一五日、同年四月一日である(弁論の全趣旨)。
(一) 「物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料」のうちの「規格及び試験方法に関する資料」(「承認後製造される医薬品の流通段階での一定の品質の確保」という目的のもとに、三ロット以上の試料について、一ロット当たり各三回試験を実施)
(二) 「安定性に関する資料」のうちの「加速試験に関する資料」(「承認後製造される医薬品の流通段階での一定期間の安定性の確保」という目的のもとに、製剤を検体として、保存条件ごとに三ロット以上の試料について、六か月以上の試験を各三回実施)
(三) 「吸収、分布、代謝、排泄に関する資料」のうちの「生物学的同等性に関する資料」(「承認後製造される医薬品が新医薬品として承認が与えられた医薬品と生物学的に同等であることを証明する」という目的のもとに、健康人を対象として、製剤を検体として、適切な統計処理が可能となる例数について、交叉試験法により血中濃度を測定)
但し、被告沢井製薬株式会社及び被告帝国化学産業株式会社は、薬事法一二条一項括弧書きの「小分け」の製造承認を受けたものであるから、自社では原末・被告製剤について規格試験を行っただけであり、加速試験及び生物学的同等性試験は他社(被告沢井製薬株式会社については子会社のメデイサ新薬株式会社)の試験結果を援用したものであると主張し、自社で右両試験を行ったことを否認する。
6 被告らは、本件各試験に用いるためにドンペリドン及びこれを有効成分とする被告製剤を製造した(但し、被告共和薬品工業らは「試作」と表現している。被告東和薬品は、この点につき明らかに争わないから、自白したものとみなされる)。
(なお、原告は、「製造又は輸入」と主張するが、被告共和薬品工業らは「輸入」の事実を否認するところ、これを認めるに足りる証拠はないので、以下「輸入」の点についての主張は記載を省略する。)
二 争点
1 薬事法に基づく製造承認を得るために必要な資料を調える目的で、本件特許権の存続期間中に本件特許発明の技術的範囲に属するドンペリドン及びこれを有効成分とする被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は、本件特許権を侵害するものであるか。
2 本件特許権の存続期間満了後に、本件特許権に基づく妨害排除請求権等に基づき、本件特許発明の技術的範囲に属するドンペリドンを有効成分とする被告製剤の製造販売の差止め等を請求することができるか。
第三 争点に関する当事者の主張
一 争点1(薬事法に基づく製造承認を得るために必要な資料を調える目的で、本件特許権の存続期間中に本件特許発明の技術的範囲に属するドンペリドン及びこれを有効成分とする被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は、本件特許権を侵害するものであるか)について
【原告の主張】
被告らがドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は、本件特許発明の「業としての実施」に当たり、特許法六九条一項にいう「試験又は研究」に該当せず、違法であるから、本件特許権を侵害するものである。
1 被告らが、本件特許権の存続期間中に、被告製剤について厚生大臣の製造承認及び薬価基準収載を受けるためにした行為は、本件特許発明の「業として」の「実施」に当たる。
(一) 被告らは、医薬品を製造、販売することを業とする会社であるから、医薬品を製造、販売することは、いうまでもなく被告らの業としての行為である。
ところで、商品たる医薬品は、国民の健康への影響から、これを業として製造、販売するためには、その開始に当たり製造承認等を取得しなければならない。医薬品の製造販売を業とする企業の製造承認等を取得するための行為は、その医薬品の製造販売のみを目的とするものであって、その製造販売の端緒と評価されるべきものである。そうすると、製造承認等を取得するためになす被告らの行為は、それ自体も業としての行為にほかならない。
また、医薬品が特許を付与された物質である場合には、これを製造し、使用することがその特許発明の実施であることはいうまでなく、被告らの行為は、右のとおり業としての行為であるところ、その行為の内容は、本件特許発明にかかる医薬品(ドンペリドン)を製造し、使用することであるから、結局、被告らの行為は、業としての本件特許発明の実施であるということになる。
(二) 被告共和薬品工業らの援用する特許法六七条二項は、被告らの行為を業としての本件特許発明の実施行為とすることと何ら矛盾しない。物の発明についての特許権者は、本来であれば、その物を生産し、使用し、譲渡し、展示する等、特許法二条三項一号に定める六態様の実施行為すべてにつき全幅の権原を享有しているが、その実施行為態様の中に、例えば市販及びそのための生産など安全性の確保等の目的から許可があるまでその実施が禁じられる場合には、特許権者の本来享有すべき右の全幅の実施権原がその限度で制限される。特許法六七条二項は、この制限に対する救済規定であるから、同項にいう「その特許発明の実施をすることが二年以上できなかったとき」とは、その特許発明の実施を全幅の意味においてはすることができなかったとき、との趣旨である。右の許可があるまでの間であっても、特許を付与された物質を製造し、使用する行為は、その主体が特許権者であれ第三者であれ、特許法二条三項に規定する特許発明の実施行為であり、被告らのこれらの行為もまた当然に特許発明の実施行為であることはいうまでもない。
(三) 被告共和薬品工業らは、本件各試験は、「業としての実施」には至らず、その以前の段階である実施の準備にとどまるものであり、かつ、即時実施を前提とするものではないから、産業とは無縁の行為であり、本件特許権を侵害するものではないと主張するが、被告らは、前記のとおり医薬品を製造、販売することを業とする会社であるから、医薬品たる被告製剤を製造することが業としての行為であることはいうまでもない。本件特許権の存続期間中に、業として特許法二条三項一号に該当する、その特許物質を生産、使用する行為は、それだけで直ちに本件特許権を侵害する行為であって、即刻利益を得ようとしたとか、特許権者の経済的利益を害する意思を有していたというようなことは、特許権侵害の成否とは無関係である。
なお、被告らは、本件各試験のために使用した本件特許発明にかかるドンペリドンの量は少量である旨主張するが、厚生大臣に対する製造承認申請のためには、実際の工場内での製品製造単位で製造された大量の物質を現実の用法と同様の態様で用いることが必要であり、現に、被告らは、少なくともドンペリドンを五万二五〇〇回服用分(五万二五〇〇錠)製造し、使用したのである(甲二〇)。
2 被告らの行為は、特許法六九条一項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」には該当しない。
(一) 特許権の効力が及ばない「試験又は研究」とは、その特許発明の技術を更に技術的に進歩させるものでなければならないから、技術を更に進歩させる目的を有することが不可欠である。
特許発明の特許性を調査すること、その技術的機能を調査することは、その特許発明の技術的改良、発展及び更に別技術を開発することの前提と考えられるから、広い意味において右の技術を更に進歩させるという目的を有する行為であるということができ、したがって、広義では右の「試験又は研究」に該当するといえる。
(二) しかしながら、被告らの行った本件各試験は、結局、ドンペリドン製剤について、既に公知であり確立されている先発医薬品の活性成分の有効性と安全性に関するデータではなく、先発医薬品と同じ活性成分を含んだ製剤が、先発医薬品と<1>製剤中の活性成分の含量が同じであり、<2>同等の保存安定性を有し、<3>人に投与した場合、同等の血中濃度パターンを示すか、という同等性の確認の資料を得るものであるにすぎない。すなわち、本件各試験は、本件特許発明にかかる医薬品と同効のものとして販売するための行政上の許可を得るために、これと同一の薬効を有する医薬品であること、及びそれが必要最低期間は同一薬効を保持して変質しないことを証明する資料を得ることのみを目的とする行為であって、いかなる意味においても、その特許発明にかかる技術を更に進歩させる目的を有するものではありえないから、到底、特許法六九条一項にいう「試験又は研究」には該当しない。
(三) 被告共和薬品工業らは、後発医薬品会社の「試験又は研究」の中から新たな発明が生まれることも多いとして、乙第一四ないし第二一号証を援用するが、これらの技術は本件特許発明とは何の関係もない技術である。特許権の対象となるような発明は、本件各試験による右(二)の<1>ないし<3>のような資料の取得行為によっては、絶対に達成されえない。
(四) 米国法においては、いわゆるボーラー条項が設けられており、それ故に被告らの行為は許されることになるが(甲一四)、かかる条項を有していない日本法上は、これとは同一に解しえず、かかる条項を設けなかったことから逆に被告らの行為は許されないものと解するのが法解釈の常道的手法である。
3 被告らの行為は、いうまでもなく本件特許権を侵害する行為であり、特許権侵害行為は、特許権侵害であるが故に常に違法なのであって、場合により実質的違法性を欠如するなどの理由で適法行為と同視されうるかのごとく評価するのは誤りというべきである。貴重な新規技術を進んで開示したことに対する代価としてごく限られた期間のみ与えられる特許権は、期間的にも内容的にも欠けるところなく尊重されなければならないからである。
また、本件各試験は、新薬を開発してこれを初めて製造、販売する際の製造承認のために行われるその医薬品の有効性と安全性の試験が、六年ないし一二年の期間と多額の費用を要する膨大な試験であるのと比較すれば、その試験範囲は限定されていることから、期間も短く、試験に用いる医薬品も少量で試作的な製造ではあるが、それによって被告らは、本件特許権の特許権者が膨大な期間と莫大な費用を費やしてようやく取得した新医薬品の販売者たる経済的地位と同一の地位に就くのであって、被告らの行為は、大量で経常的な利益を目論む計画的製造、使用行為にほかならないものであるし、本件各試験に必要とされる時間も医薬品の量も少なくて済むのは、本件特許権の特許権者が開発の当初にした本件特許発明にかかる医薬品の有効性と安全性にかかる膨大な試験の結果に全面的に依存していることによるものである。被告らの本件特許権の侵害行為の違法性が、本件特許権の特許権者の労力によってもたらされた情報の流用によって低く評価されるというのは背理というべきである。
更に、ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造が、実質的に違法と評価されないとして本件特許権を侵害しないと解することは、GATT・TRIPS協定二七条一項すなわち「二及び三に従うことを条件に、特許は、新規性、進歩性及び産業上利用可能性を満たす場合は、物、方法を問わず、全技術分野のすべての発明に対して付与されうる。第六五条四、第七〇条及びこの条の三に従うことを条件に、発明地、技術分野及び輸入品であるか国内生産品であるかによる差別なく、特許が付与され、特許権が享受されねばならない。」に違反する。
【被告共和薬品工業らの主張】
ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための試作は、本件特許発明の「実施」又は「業としての実施」に当たらず、仮に当たるとしても特許法六九条一項にいう「試験又は研究」に該当し、そうでないとしても実質的違法性を欠くから、本件特許権を侵害するものではない。
1 ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための試作は、本件特許発明の「実施」に当たらない。
(一) 被告共和薬品工業らが本件特許権の存続期間中に試作したドンペリドンが本件特許発明の特許請求の範囲第1、第2項に記載された物質であることは認めるが、制吐剤に限定された第3項の発明と同様に制吐剤等の医薬品としての作用効果故に進歩性が認められて特許を受けたものであり、制吐剤等の医薬品として使用されることを当然の前提にしていると考えられ、第4、第5、第6、第9の発明は第3項の発明を前提にしているところ、被告らが必要な最少量を試作して行った本件各試験は、本件特許発明の対象物の本来の用途、目的である制吐剤等の医薬品としての試験ではなく、試作もその限度のものであるから、本件特許発明の対象物の使用、製造、すなわち「実施」に当たらない。
(二) また、被告沢井製薬株式会社及び被告帝国化学産業株式会社は、前記のとおり小分けの製造承認を受けたものであり、規格試験として、購入した薬剤の寸法や重量を測定する行為を行っただけであるところ、特許法における「使用」とは、その物の本来の用途、目的に関連性のある使用をいうものであるから、寸法や重量を測定しただけでは、「使用」には当たらない。
2 ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのため試作は、本件特許発明の「業としての実施」に当たらない。
(一) 特許法六八条所定の「業として」とは、「事業として」の意味であるところ、この要件は、産業の発達という特許法の目的から判断すると、産業とは関係のない範囲での実施を除外するためにそのような表現をとっているものと解される。
特許権は、その排他的独占権により権利者自ら製造販売等をするか、他人が製造、販売することを許諾することによる有効期間中の経済的利益を保障しようとするものにすぎず、これを越えて、あるいはそのような利益とは無関係に、特許権であるからというだけの理由で第三者の行為を禁止しようという趣旨のものではないから、経済的な利益の面で実害のないものについてはこれを禁止する必要性は全くない。このような排他的独占権による経済的な利益とは、本件特許発明のような物の発明にあってはその物の製造販売その他の行為により利益を上げることであるが、これに対し、本件各試験や個人的、家庭的な実施等市場原理の働かない態様の実施の場合には、市場から隔離されて内部で自己完結的にその発明が使用され、その使用によっては実施者が利益を得る余地がなく、しかも市場において特許権者と競業関係に立つものではなく、特許権者に経済的損失を発生させる余地がないので、これを特許権者の排他的独占権が及ぶ効力の範囲外に位置させても、特許権者に何らの損害も与えないから、権利侵害としての「業としての実施」ではないと考えるべきである。改正により特許法六九条の規定が設けられる前においても、試験研究(無効審判を請求する目的で特許発明の追試を行うこと)が侵害にならないということは当然であると理解されていた。
(二) 医薬品については、保健衛生の向上を図る目的(薬事法一条)から、憲法二二条で保障された職業選択の自由に対する公共の福祉による制約として、主管官庁である厚生大臣の製造業の許可及び製造承認を得なければ製造をすることができないこととされている(薬事法一二条、一四条)。すなわち、医薬品についての製造という「実施」は、厚生大臣の許可及び承認を得て初めて法律上可能となり、それ以前には行われない。そのため、被告らは、薬事法の要請に従い、本件特許権の存続期間満了後の実施に向けて事業の準備として本件各試験を行ったにとどまり、特許法二条三項一号の意味における実施は行っていない。そうすると、本件各試験は、産業の発達に寄与することを目的とする特許法が定めている「実施」には当たらず、また、「業としての実施」には至らずそれ以前の段階である実施の準備にとどまるものであり、かつ、即時実施を前提とするものではないから、産業とは無縁の行為であり、本件特許権を侵害するものではない。
(三) 特許法六七条二項は、「その特許発明の実施をすることが二年以上できなかった」ことを延長登録出願の要件としており、特許法自体が、薬事法に基づく製造承認の申請に始まる審査期間中は「特許発明の実施」ができないこと、換言すれば特許権設定登録後製造承認前に行われる臨床試験が、特許発明の実施に当たらないか、少なくとも業としての実施に当たらないことを明らかにしているのである。けだし、臨床試験が実施ないし業としての実施に当たるというのであれば、存続期間の侵食は生じないのであり、先発者の行う臨床試験が業としての実施に当たらない以上、後発者の行う本件各試験のような臨床試験も業としての実施に当たらないというのが当然の帰結であるからである。
しかも、被告らは、被告製剤の製造販売を行うことを目的として審査に必要とされる標準的事務処理期間を考慮して本件特許権の存続期間内にあらかじめ厚生大臣に対し製造承認申請をするために少量のドンペリドンを使用して本件各試験を行ったにすぎず、本件特許権の存続期間中における原告の法的地位を何ら脅かすものではないから、その観点からも、本件各試験は、実施に当たらないか、少なくとも業としての実施には当たらない。
右使用したドンペリドン(被告製剤)の量につき、原告は少なくとも五万二五〇〇錠とするが、実際は三〇〇〇ないし五〇〇〇錠程度にすぎない。被告沢井製薬株式会社及び被告帝国化学産業株式会社は、前記のとおり規格試験を行っただけであるので、数百錠にすぎない。
(四) 平成六年法律第一一六号(以下「改正法」という)附則五条二項は、改正前の特許法の下で他人の特許権の存続期間が満了することを前提としてその満了前にその特許発明の実施の準備を行っていた者に対し、改正法により延長された存続期間内、その準備をしていた発明及び事業の目的の範囲内で通常実施権を与えることとしたものであるが、同規定にいう発明の実施である「事業の準備」とは、いわゆる先使用による通常実施権を定める特許法七九条にいう発明の実施である「事業の準備」と同様、特許発明について、未だ事業の実施の段階には至らないものの、即時実施の意図を有しており、かつその即時実施の意図が客観的に認識される態様、程度において表明されていることを意味するものと解せられる(最高裁昭和六一年一〇月三日第二小法廷判決・民集四〇巻六号一〇六八頁参照)。
本件各試験は、本件特許権の存続期間満了後における製造等に向けられたものであり、右にいう即時実施の意図を欠くから、本件特許発明の実施である事業の準備には当たらない。
(五) 従来我が国の製薬業界において、先発医薬品についての特許権の存続期間満了後に後発医薬品の製造販売をする目的でその特許権の存続期間中に、後発医薬品の製造承認の申請に必要な添付資料を作成するための各種試験を行い、かつ、存続期間中にその申請を行ってきており、今回の紛争までは先発者は後発者に対してこのことについて何ら異議を唱えたことはなく、後発者も法律上当然に許された行為であると考えていたのが実情である。厚生省(薬務局審査課発各都道府県薬務主管課宛)も、平成七年六月二八日付で、「特許期間の終了を見込み、承認審査の標準的事務処理期間を考慮して後発品の承認申請を行うことは差し支えないものとする」という妥当な事務連絡(乙六)を発して右のような実情を追認しており、この事務連絡はその後も変更されていない。
3 ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための試作は、特許法六九条一項にいう「試験又は研究」のためにする特許発明の実施に該当するから、本件特許権の効力は及ぼない。
(一) 特許法六九条にいう「試験又は研究」については、一般に許認可のための試験研究は科学技術の進歩を目的としたものであるか、という形で議論されるが、同条は、「試験又は研究」のためにする特許発明の実施には特許権の効力が及ばないとしているだけであって、その他の限定条件を付していないから、技術の進歩を目的とする試験研究と技術の進歩を目的としない試験研究とに分けて検討すべき法的根拠は存しない。本来許認可を目的としているかどうかとはかかわりなく、その試験研究と科学技術の進歩への寄与の関係自体を論ずべきであり、第一に、どの程度科学技術の進歩に寄与することを要するかという成果との関係、第二に、それらの試験研究の目的、主観、意図が科学技術の進歩を直接ないし主要な目的としたものに限るかという主観面や目的の面の二つの面から検討されるべきである。
成果の面では、科学技術の進歩への寄与の程度は、具体的な寄与の結果を得ることは要せず、当初から何も寄与しないことが明白な場合を除けば足りる。結果的に失敗した(成果を上げられなかった)試験研究はすべて侵害であるとすれば、特許法六九条の立法趣旨に反することになる。このことは、「試験又は研究」に該当するために具体的な寄与の結果が要求されるとすれば、当然その試験研究の結果を公表することが要求されるはずであるが、同条はそのような公表等の要件を課していないことからも裏付けられる。科学技術の進歩に寄与する可能性が種々の面から否定できず、実際面でもそれを認める必要性もある試験研究であって、特許権者に実害を与える性質のものでない試験研究を六九条の適用外とすることは不当である。
試験研究については、ふとした出来事が大発見や大発明のきっかけになっていることがほとんどである。また、同条は、経済的利益目的の「試験又は研究」も除外していないことは、規定の文言に徴して明白であるから(もともと経済的利益と無関係であれば「業として」の要件から外れるから、同条の立法理由がなくなる)、主たる目的が経済的利益でありその結果科学技術の進歩にも寄与しうるという場合でも一向に差し支えないはずである。およそ企業での試験研究であれば、個々の研究担当者の内心の意思はともかく、企業全体としてはあくまでも経済的利益追求のための一手段にほかならないはずであるから、企業や実験担当者の主観的意思、目的で決することはおよそできないか、少なくとも試験研究の実情に合わず不合理である。
以上のように、右「試験又は研究」は、科学技術の進歩に直接間接に寄与する可能性のある、すなわちそのような性質の試験研究であることを要し、かつそれで足りると解すべきであり、科学技術の進歩を直接ないし主要な目的とした試験研究であることを要しないというべきである。
(二) また、医薬品特有の問題として、他の一般の化学物質、特に工業的に用いる化学物質とは異なり、化学構造式としては同一でも人体への作用は異なるという物質も多い(例えば、いわゆる施光性物質は、右施光性のものと左施光性のものとでは医薬品としての作用が全く異なる)。更に、実際の医薬品として提供するためには、その化学物質(原末)を経口その他の方法により人体に吸収できるように加工しなければならないが、配合や加工の仕方によっては実際の人体に対する効果がもちろん異なってくる。
そこで、被告らの行った本件各試験のうち、重要な生物学的同等性試験についていえば、原末から実際の医薬品を試作する過程については、本件特許発明にかかる特許公報に配合物質や製造方法の例示はされているが、原告が製造承認を受けた具体的内容は公開されておらず、被告らは、独自に被告らなりの知見に基づいて、各種の配合物質を検討し、試作方法を検討し、かつ、そのようにしてできた最終試作製品において先発医薬品との「生物学的同等性」が得られるまで検討を繰り返すのである。これは試行錯誤であり試験研究の場面である。
もちろん、その過程では人体に対する作用を検討するための臨床試験を行うことも不可欠であり、その中で副作用等が発見されれば後発医薬品会社である被告らといえどもすみやかに厚生省に報告することになっている。本件のドンペリドンについても、原告は昭和五七年に製造承認を受けていたにもかかわらず、翌五八年頃には注射剤による四例のショック様症状が、平成元年にはより安全性が高いと思われた坐剤による一例のショック様症状が、平成七年には内服薬によるショック及びアナフィラキシー様症状が四例報告されているのであって、化学的には同じ薬剤であっても、医薬品としての態様によって副作用が異なるのであり、このように長い期間を経てもなお新たな副作用例が報告されているということは、臨床試験については、何回やればそれ以上は全く同じことであるからそれで十分であるというような性質のものではないことを示している。
このように、被告らのした本件各試験は、企業としては許認可のためという側面は否定できないものの、その内容自体は、被告らのノウハウを動員し、種々の実験その他の試行錯誤を繰り返してする「試験又は研究」にほかならない。
(三) 被告らのような後発医薬品会社は、被告ら独自の視点から製剤の形態によって作用や副作用が異なることにも注目して研究開発をしているのであって、このような後発医薬品会社の「試験又は研究」の中から新たな発明が生まれることも多い(乙一四ないし二一)。
4 本件各試験は、発明の実施である事業や事業の準備には未だ該当しないものであり、権利侵害の外形があるように見えても、原告の法的立場を何ら脅かすものではなく、本件特許権の本質である本件特許発明を業として実施する権利を実質的に侵害していないから、特許権侵害行為としての実質的違法性を欠くというべきである。
原告は、右のような解釈をすることはGATT・TRIPS協定二七条一項に違反する旨主張するが、同条項は、特許権付与時及び特許権享受の場面における差別を抽象的に禁止しているものの、具体的な場合において特許権の行使に対する抗弁事由があるときに非侵害とすることまでは問題にしていないと考えられる。むしろ、医薬品についてのみ、二七か月も事実上特許権の存続期間が延長されるような効力を認めることは、かえって差別的取扱いをすることになり、右条項に違反することになる。
原告の主張に従えば、ボーラー条項を有する米国は、右協定に違反することになるが、米国は同協定の有力な加盟国であることは明らかであり、かつ、米国がボーラー条項を有するが故に協定違反であるとして国際社会で非難されたということはない。
【被告東和薬品の主張】
従来の判例や学説の解釈に直ちに合致しない部分があるとしても、本件のような訴訟が生じてみると、今まで深くは検討されてこなかった事実関係に対し、総合的判断として、特許法二条の規定する業としての「実施」に該当しないと解釈し、あるいは特許法六九条を適用することは何らおかしなことではない。これらの点についての原告の主張は、結局のところ、本件事案の特殊性を理解しないまま、従来の事案の解釈を繰り返しているにすぎない。
二 争点2(本件特許権の存続期間満了後に、本件特許権に基づく妨害排除請求権等に基づき、本件特許発明の技術的範囲に属するドンペリドンを有効成分とする被告製剤の製造販売の差止め等を請求することができるか)について
【原告の主張】
原告は、次の1ないし3のいずれかの法的根拠に基づき、本件特許権の存続期間中における違法状態を、たとえ存続期間満了後といえども排除しうる権利を有している。
1 本件特許権に基づく妨害排除請求権
(一) 前記一のとおり、被告らがドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は、本件特許権を侵害するものであり、そのような試験結果を資料として厚生大臣に製造承認を申請することも本件特許権を侵害するものである。
したがって、後発医薬品会社が特許権の存在する先発医薬品についてその後発医薬品の製造販売を適法に開始しようとするならば、常に必ず、当該特許権の存続期間の満了を待って、しかる後に薬事法に基づいて必要とされる試験を開始しなければならない。このことは、先発医薬品について、特許権が存在する限り、後発医薬品会社は、当該特許権の存続期間の満了後直ちに当該後発医薬品の製造販売を開始することができないことを意味する(もし、後発医薬品会社が存続期間満了後直ちに当該後発医薬品の製造販売を開始したとすれば、後発医薬品会社のそれに至る行為の中には、必ず特許権侵害行為があったということになる)。また、現実の販売という点からは健康保険薬となるために薬価基準に収載されることが不可欠であり、後発医薬品の場合、この試験の開始から薬価基準収載に至るまでの所要期間は、現在二七か月を下らない。
このように、第三者が本件特許権を侵害することなく本件特許発明の実施品たる後発医薬品を製造、販売しようとするならば、存続期間満了後二七か月という期間を要することが避けられないから、特許権者たる原告は、その存続期間満了後更に二七か月間は、本件特許発明の実施品たる本件医薬品を独占的に製造、販売することのできる有利な地位を享有することになり、すなわち、現行法体系全体の中から生じてくる法的利益として、その存続期間満了後も二七か月間はこれを独占的に製造、販売しうる権能を法律上有しているのである。
(二) 一般的にいっても、物の発明の特許権の場合、特許発明にかかる物を製造、販売して経済的利益を得ようとすると、必然的に、製造という特許発明の実施行為と、そのための一定の製造所要期間と、販売という特許発明の別の実施行為の三要素を不可欠とするから、特許権の存続期間が満了して特許発明の実施が何人にも自由になったとしても、特許権者以外の者が存続期間満了と同時に特許発明にかかる物を販売することは、特許権侵害なしには不可能である。なぜなら、特許権の存続期間満了と同時に行う販売行為自体はなるほど特許権侵害行為ではないように見えるが、その者は、必ず、存続期間満了の日よりその物の製造所要期間を遡った日以前から、製造という特許権侵害行為をしていたはずであるからである。特許権侵害行為を伴わずにその物の販売を開始しうるのは、早くても、特許権の存続期間満了の日からその物の製造所要期間を経過した日以降ということになる。
このように、特許権の存続期間満了と同時に特許権者以外の者が当該特許発明にかかる物を販売することは、論理必然的に特許権侵害を伴うものであり、法の許さざるところと解さなげればならない。特許権の存続期間中、特許法を正当に尊重して、その物の製造を開始しなかった者との間で均衡を失するからである。そうであるとすれば、特許権者は、特許権の存続期間満了後も、特許発明にかかる物の製造に要する期間に限り、なおこれを独占的に販売しうる有利な地位を有していることになる。特許権者が享有しうるこの利益は、特許権者が特許権を有しているからこそ特許権侵害を伴わずに特許権の存続期間中にその物を製造することができたことに由来して生じているのであるから、まさに特許権に伴って生じる法的利益と解されるべきであって、単なる反射的利益ではない。
したがって、特許権者でない者が、存続期間満了後直ちに特許発明にかかる物を販売することは、右の製造所要期間中は、特許権者の有するこの法的利益を害する、特許権に対する妨害と解されるべきものである。特許権の存続期間満了後に、かかる法的利益が特許権者に認められることは、特許権が期限のある権利であって、存続期間満了後はその実施が万人に自由になるという特許法の原理と何ら矛盾しない。けだし、特許権者でない者は、法に反しない限り、その物の製造その他の実施行為をすべてなしうるのであるが、右のとおりそれが必ず特許権存続期間中の特許権侵害を伴う法に反した状態を生じ、もって特許権者の正当な法的利益を害する場合にのみ、存続期間満了後も権利侵害の結果に伴う特許権に対する排除されるべき違法な妨害と評価されるというにすぎないからである。
(三) 特許法一〇〇条は、特許権が物権的権利であることに基づいて、妨害排除請求権(及び妨害予防請求権)を生じることについて民法の特別法たる特許法による特別規定であると解されるから、特許法に規定を欠く特許権妨害及びその排除請求権一般については、一般法である民法の理念に従って解釈すべきである。
被告らが、本件特許権の侵害行為である本件各試験の結果を被告製剤の製造承認申請に用いたこと、更にこれに基づいて製造承認を取得し、製造販売を開始したことは、すべて本件特許権の侵害行為である本件各試験に起因した本件特許権に対する妨害行為であり、この妨害行為により、原告は、本件特許権の存続期間満了後も少なくとも二七か月間享有しえた本件特許発明の実施品を独占的に製造、販売しうる法的地位を侵害された。
したがって、原告が、本件特許権の存続期間中、その妨害排除請求権をもって被告らのこれらの妨害行為の差止めを求めることができることはいうまでもないが、右妨害排除請求権は、妨害が存在し、継続している限り存続するものでなければならない。すなわち、特許権に対する妨害が特許権の存続期間満了後も存続するような場合には、妨害状態の継続する限り存続すると解さなければ、特許権という準物権の有している対象物の完全かつ円満な利用収益という本来の目的を達成しえない。被告らによる本件特許権に対する妨害行為は、本件特許権の存続期間満了後も少なくとも二七か月にわたって継続しているから、本件特許権によって保護されている法益の侵害行為に対する原告の妨害排除請求権は、この妨害状態の存続している期間、存続していると解さなければならない。
このような解釈は、決して背理ではない。所有権に基づく妨害排除請求権の性質を有すると解される(抹消)登記請求権について、判例は、甲↓乙↓丙と所有権が移転しているのに甲↓丙と移転登記がなされた場合、中間者乙は既にその所有権を有していないにもかかわらず、右中間省略登記の抹消を求める正当な利益を有するときに限り、同人において右登記の抹消を求めることができる、としているのである(最高裁昭和三五年四月二一日第一小法廷判決・民集一四巻六号九四六頁参照)。
(四) 被告東和薬品は、原告の本件請求が認められれば実質的に特許権の存続期間が延長されることになる旨主張するが、本件請求が認められても、本件特許権の侵害行為をなした被告らがその侵害行為の成果物である本件請求の対象行為を禁じられる以外は、本件特許発明の実施は、どのような態様でも何人にも全く自由であるから、存続期間を延長することにはならない。
また、被告東和薬品の挙げる執行官保管の仮処分の例では、特許権の存続期間満了により特許権が消滅しても、被保全権利である確定的な独立の権利として成立している侵害結果の排除請求権は影響を受けないから、本案判決によってその侵害物が真に特許権侵害物であったか否かが決せられるまでは、右執行官保管の仮処分命令は取り消されるべきではない。
2 特許法を含む産業的取引社会の公正な法秩序に基づく排除請求権
(一) 特許法一条は、特許発明が特許法の定めるとおりの法的保護を正当に受けること、及びその利用が特許法の定めるところに従って正しくなされることが産業の発達に寄与することを宣言しており、特許権との関係における産業的取引社会の公正な秩序は、万人が特許権を特許法の定める全幅の意味において尊重(して利用)することによって成立するとしている。特許法上、特許権侵害とは、権原なく特許発明を実施する行為であると解されるところ(二条三項)、その侵害行為により特許権者を害することになる結果は、広く特許権妨害と評価されるべきものであると解される。特許法一〇〇条二項は、特定の特許権妨害に関して規定を置いている。
したがって、特許権侵害ないし妨害は、私権である特許権の権利者を害するにとどまらず、特許法の予定する右の産業的取引社会の公正な秩序をも害することになる。すなわち、この産業的取引社会の公正な秩序は、特許権を遵守尊重してその存続期間中はこれを侵害することなくこの産業的取引社会の競争に参加している一般の善良な第三者全体によって構成されているものであるところ、特許権を侵害する者は、その侵害によって取得する不公正に有利な地位によって、この公正な競争の秩序をも害することになるのである。このような侵害者の不公正に有利な地位が法的に不問に付されるようなことがあれば、産業的取引社会において厳しい競争にさらされている一般善良な競争者の間にも、特許権侵害への新たな誘惑を生ずることになり、その結果は、特許権者に対する更なる特許権侵害の不利益への圧力となるが、それにとどまらず、特許法自体も、その構築する右の産業的取引社会の公正な秩序の崩壊の危機にさらされることになり、この産業的取引社会の公正な秩序の崩壊が更に特許権侵害を誘発することになるのである。
(二) そこで、特許法は、特許権侵害により直接的に被害を受ける特許権者に対して特許権侵害の差止めを委ねる(一〇〇条)という構成によって、特許権侵害に伴って生ずる右の二面の害悪の悪循環を断ち切ろうとしている。その際、特許権侵害に基づく特許権妨害については格別の一般的規定は置いていないが、物権的権利である特許権に妨害排除請求権が認められるべきことは、特許法が民法の特別法の性格を有することから当然の事理である。この特許権の妨害排除請求の場合も、特許侵害差止請求の場合と同様、産業的取引社会の公正な秩序の回復という視点が見落とされてはならず、この観点からは、特許権侵害とその結果である妨害の排除に当たっては、特許権侵害がなかった状態、換言すれば特許権が尊重されていたとすれば実現していたであろう状態が回復されることが肝要である。
この事情は、特許権侵害の結果である特許権妨害が、特許権の存続期間満了後に存続している場合にも、同様に妥当するのでなければならない。
特許権の存続期間中に、準備行為という特許権侵害をなした者が、特許権存続期間満了と同時に経済的利益を伴う特許発明実施行為をなすことは、まさに特許権の存続期間満了後にも存続する特許権妨害であるから、このような場合にはなお、その特許権から生じた妨害排除請求権をもって、その妨害の排除、すなわち、右の準備に要する期間という特許権者の法的利益享受期間は侵害者に対して経済的利益を伴う特許発明の実施の禁止を請求することができなければならない。それがまさに、特許法の構築する産業的取引社会の公正な秩序の要請であるからである。
3 発明の独占的占有に基づく不当利得返還請求権
(一) 発明は、いうまでもなく、その技術的完成によって客観的に成立する無体の財産であるが、これを知得し実施することによって利益を得ることのできる重要な財産であって、有体物と同様に、主観的に認識知得し実施するなど利用可能な事実状態として管理下におくことにより占有することができるものである。
原告は、本件特許発明が完成すると同時にこれを秘密下に利用可能な事実状態に管理して独占的な占有を取得し、更にこれについて特許出願をして特許権を取得することにより、その存続期間中は法的にも独占的な占有権原を与えられ、もって、独占的占有を継続してきたものである。
(二) 被告らは、少なくとも本件特許権の存続期間中二七か月間にわたり、原告が特許権者として独占的占有権原下に本件特許発明を占有していることを十分に認識しながら、悪意で、被告製剤についての製造承認及び薬価基準収載の必要資料を取得するため、ほしいままに本件特許発明の実施品である被告製剤を製造し、更にこれを使用するなどの実施をすることによつて、原告の本件特許発明に対する右独占的占有を侵奪した。すなわち、被告らは、悪意で、法律上の原因なく、他人の財産である原告の本件特許発明に対する独占的占有を少なくとも二七か月間侵奪することによって、原告に右二七か月間の独占的占有喪失という損失を生ぜしめ、これによって製造承認、薬価基準収載とこれに基づく被告製剤の製造販売可能な地位という利益を受け、もって不当な利得をしたものである。
(三) したがって、被告らは、悪意の不当利得者として、原告に対し、不当に取得した右の利益のすべてを返還すべきところ、利益の返還は、有体物の返還方法として一般法理の承認する現物返還と同一の満足を与えること、すなわち、その発明の占有が侵奪されたことの明白な二七か月間において、被告らの占有がなされなかったのと同一の状態を原告が回復できることでなければならない。
それはすなわち、被告らが右の違法な占有侵奪をしなかったとすれば生じていたはずの状態を再現すること、換言すれば、右占有侵奪によって取得した製造承認及び薬価基準収載手続をいったん白紙に戻し、もって被告らが被告製剤を製造、販売することのできない地位に戻ること、したがって、具体的には、侵奪期間と同一期間である二七か月間について、本件請求が許容されることに外ならない。
【被告共和薬品工業らの主張】
原告が本件差止請求の根拠とするところは、いずれも理由のないことが明らかである。
1 本件特許権に基づく妨害排除請求権について
(一) 特許権は、排他的独占支配権であって、物権的請求権など物権に準じた法的効力を有することは疑いがなく、物権法定主義の類推による権利内容の公示の要請及び発明者の利益と公衆の利益を考量して産業政策上至当であると決定された存続期間の趣旨等に照らし、その効力については特許法の明文の規定に忠実に従って解釈すべきである。
原告が有していた本件特許権は、存続期間の満了により消滅したから、物権から流出する物権的請求権が物権の消滅によって同時に消滅するように、原告主張の差止請求権(侵害停止請求権、侵害予防請求権、廃棄除却請求権)も、特許権の消滅と同時に消滅した。したがって、法律の明文の規定もないのに、原告の主張するような「現行法体系全体の中から生じてくる法的利益として」差止請求権が存続期間満了後も残存するような解釈をすることは許されない。
(二) これまでの我が国の実務においては、侵害差止請求訴訟の係属中に特許権の存続期間が満了した場合には、侵害停止・侵害予防請求権はもとよりこれに付帯してのみ行使することができる廃棄除却請求権も直ちに消滅するものとして、損害賠償請求ないし不当利得返還請求等に訴えを変更することが行われてきたが、これについては、判例、学説上も異論をみず、特許権の存続期間満了後は誰でも当該特許発明を実施できることを当然としている(最高裁昭和四五年九月二二日判決・裁判集民事一〇〇号四五七頁・判例時報六一四号五〇頁、東京地裁平成五年九月二九日判決・審決取消訴訟判決集平成六年三五-六三五頁)。だからこそ、医薬品にかかる特許権について特許発明の実施をすることができなかった場合の救済策として、特許法の一部を改正する法律(昭和六二年法律第二七号)により特許法が改正され、特許権の存続期間を延長する制度が設けられたのである。
(三) 原告は、不当な中間省略登記について、中間者たる旧所有者もその抹消を求めうる場合がある旨を判示した最高裁判例を援用するが、右の例は、権利の帰属が登記簿上正しく表示されること(登記制度はそのような趣旨の法制度である)について法的利益がある場合(例えば固定資産税が一月一日の登記名義人に対して課せられるなど各種の規定が登記を基準としている)に救済されうることを判示したものであって、権利の帰属の問題である。これに対し、本件における原告の主張は、権利の帰属の問題ではなく、権利に基づく使用収益の問題であり、排他的独占権が権利消滅後も残存することを主張するものであって、右の例でいえば、所有権移転後の新所有者に対し旧所有者が立退きを請求するに等しいものである。
2 特許法を含む産業的取引社会の公正な法秩序に基づく排除請求権について
特許法は、侵害差止請求権を認める法的根拠として一〇〇条を設けたもので、その権利の内容については専ら同条によるべきであり、それ以外に原告主張の「産業的取引社会の公正な法秩序に基づく排除請求権」等、名称のいかんを問わず、別個の内容を有する妨害排除請求権を認めることは、物権法定主義の類推による権利内容の公示の要請に反して許されない。
3 発明の独占的占有に基づく不当利得返還請求権について
わが国の民法は、有体物についてのみ占有なる概念を認めており、発明等無体物について占有を認めることを窺わせるような規定は見当たらないし、これを明確に認める判例学説も存しない。ただ、先使用による通常実施権について公平説を採る裁判例の一部が、説明の便宜上、発明に対する一種の占有状態という表現を用いていることがあるが、そこでいう占有状態とは排他的支配を指すのではなく、せいぜい発明を実施しあるいは実施の準備をしていたというにすぎない。重要なのは、その先使用権についても第三者に対する禁止権は全く認められていないということである。
特許権発生以前に発明の占有等を理由に何らかの禁止権が出てくるというのであれば、発明者はわざわざ出願する必要はなく、自ら実施さえしていれば、特許権に準じるような禁止権が認められることになるが、それが不合理であることはいうまでもない。存続期間満了後は、特許権に隠されていた発明自体による権利が復帰するというような理論をとるのであれば、同様のことは特許権発生前にも生じていなければ論理が一貫しないが、それが不合理であることも明白である。
原告の不当利得返還請求権の主張における「法律上の原因なくして」とは、被告らの本件各試験が本件特許権を侵害する違法なものであることを意味しているが、本件各試験は前記一のとおり本件特許権を侵害するものではないから、不当利得返還請求権が発生する余地はない。
4 権利の濫用
原告がもはや本件特許権の存続期間が満了した現在において、過去に本件特許権を有していたことを主たる理由にして、差止請求権を行使することは、諸般の事情を併せ考えると信義誠実の原則に反し、権利の濫用に当たるといわなければならない。
【被告東和薬品の主張】
1 本件特許権の存続期間満了後に、存続期間中と同様の差止請求権を認めることはできない。
(一) 特許権は、その存続期間の満了とともに消滅するから、存続期間の満了後に第三者の行為を差し止めることができないのは自明のことである。ある特許権を根拠に製造販売を禁止する仮処分命令が発令されても、その特許権の存続期間が満了すれば仮処分命令が取り消されるのはそのためである。原告主張のように存続期間満了後も第三者の販売行為を差し止めることができるとすれば、右の例においては仮処分命令は取り消されないことになるところ、そのような結論が妥当でないことはいうまでもない(東京地裁平成五年九月二九日判決も、仮処分命令により執行官保管がされている医薬品について、特許権の存続期間中に廃棄請求権が確定しているとの理由で存続期間満了後も執行官保管の命令は取り消されるべきではない旨特許権者が主張したのに対し、特許権の存続期間が満了した場合、特許法一〇〇条一項所定の侵害停止請求権又は侵害予防請求権は消滅し、これを行使する余地はないのであるから、同条二項所定の廃棄請求権等を行使することができないのみならず、期間満了前に侵害行為を組成したものであっても、期間満了後は当該特許権を侵害するおそれはないのであるから、「侵害の予防に必要な行為」としてその廃棄等を請求することはできないというべきである、と判示しており、この判決は控訴審でも支持されている)。
この点についての原告の反論は、特許法一〇〇条二項の廃棄除却請求権の解釈を完全に誤るものである。同条二項は、第一項の差止請求権の存在を前提に、侵害行為を組成した物の廃棄等の請求ができることを認めたものであるから、特許権の存続期間の満了により差止請求権が消滅すると廃棄請求権も消滅するのである。
(二) 特許制度は、特許権の一定の存続期間を定めて発明の保護と第三者の営業活動の自由との調和を図っているのである。したがって、特許権の存続期間満了後も、特許発明にかかる物の製造に要する期間、更に特許権の効力が残存するかのごとき原告の主張は誤りである。
特許発明にかかる物が医薬品でなければ、後発会社はその特許権の存続期間満了日の翌日から全く自由に製造販売が可能であるのに、医薬品の場合は、後発医薬品につき製造承認を得ることが不可欠であり、しかも、原告の主張によればそのために二七か月もの期間を要するというのであるから、その期間後発医薬品の販売ができないとすれば、医薬品については事実上特許権者による市場独占期間が二七か月という長期間延びることとなる。法の定めなくこのように実質的に特許権の存続期間が延長され、第三者の行為を制限することが、特許法の予定するところでないことは明らかである。
原告は、GATT・TRIPS協定二七条一項違反をいうが(前記一【原告の主張】3)、存続期間中の行為を特許権侵害と考えて損害賠償請求の対象とすることは可能であるし、医薬品に限って非侵害にするというのではないから、原告の本件請求を認めなくても右協定に違反するとはいえない。むしろ、医薬品についてのみ二七か月もの期間、事実上特許権の存続期間が延長されることこそ、医薬品にかかる特許権のみを優遇する差別的取扱いであって、右協定に違反するというべきである。
先発医薬品についても製造承認を得なければならない必要からその販売開始が遅れるという特許権者の不利益は、存続期間の延長制度によって解決が図られているのであり、医薬品にかかる特許権についてのみ、更なる事実上の延長を認めるべき理由は存しない。特許権者は、存続期間中の市場の独占によって莫大な経済的利益を得ていたのであり、発明の奨励策として特許制度が認めた利益は完全に取得しているのである。
(三) 原告は、本件請求の根拠として、種々主張するが、いずれも、特許権が一定の存続期間を限って認められたものであることを全く無視するものである。原告の市場独占の利益は、本来特許権の存続期間満了までであり、後発医薬品の製造承認に二七か月を要することを奇貨として更に存続期間満了後も独占しようとすることが不可能になったとしても、原告の保護されるべき利益は何ら侵害されていない。本来自由な第三者の行為を制限して原告が市場を独占できる権利(特許権)は既に消滅しているのであって、後発医薬品会社が製造承認を得るのに必要な二七か月間なお市場を独占できるという利益は、医薬品の製造承認に日時がかかることによる反射的利益にすぎず、権利として保護されるようなものではない。
原告は、原告の本件請求が認められなければ、特許法を含む産業的取引社会の公正な法秩序が崩壊するかのように主張するが、特許権の存続期間の満了後発明の自由利用が更に二七か月間もできないとすれば、それこそ公正な法秩序が害され、特許法の趣旨に反するのである。
また、原告が援用する発明占有の概念は、特許権が付与される前の発明の保護を問題としているのであって、特許権が付与された後の問題ではない。本件では発明占有の概念による法的保護の必要性は既に消滅しているのである。発明は、これについて特許出願をしない限り、いつまでも発明者の占有に属するが、特許法による法的保護はないのに対し、特許出願をして特許法による法的保護を求めた時から、その保護は強力ではあるが期限付きのものとなり、発明の占有者の第三者に対する権利がその期限以上に及ぶことはない。したがって、本件特許発明に対する独占的占有の侵奪による不当利得などという構成で、存続期間が既に満了した旧特許権者に現物返還と同等の満足を与えるべき理由は存在しない。
2 原告は、被告東和薬品のした製造承認及び薬価基準収載の各申請行為も違法である旨主張するが、それらは薬事法や健康保険法に定められた手続と内容を備えていれば適法であり、治験データが偽造されている等の場合と異なり、試験の実施行為がたまたま第三者の有する特許権を侵害するからといって、製造承認及び薬価基準収載の各申請行為自体が違法性を帯びるということはない。仮に本件特許権の存続期間中において何らかの違法状態があったとしても、既にその存続期間が満了して第三者の行為を何ら制限できないのであるから、本件特許権の効力が存在していることを前提として初めて主張しうる違法状態は完全に消滅している。
したがって、製造承認及び薬価基準収載の各申請行為には何らの違法性もないから、製造承認の整理届及び薬価基準収載の削除願の各提出を求める原告の請求は前提を欠く。しかも、原告は、そもそも薬事法や健康保険法上の違法事由に基づいて私法上の請求権が原告に発生する根拠すら何ら示しえていないのである。
同様に、右各申請の根拠となった試験データの返還を求めることはできない(そもそも、試験データを原告に引き渡しても、被告東和薬品の得た製造承認及び薬価基準収載が違法になるものではないから、原告の請求は、はじめから意味がない)。
3 被告共和薬品工業らも援用する事務連絡(前記一【被告共和薬品工業らの主張】2(五))からも明らかなように、厚生省は、医薬品にかかる特許権の存続期間中にその満了を見込んで後発医薬品の承認申請を行うこと(これには当然試験の実施が必要である)を認めており、実際の製造承認は存続期間が満了してから行うこととしている。
医薬品につき製造承認を得るのに期間がかかることを前提としたとき、右の厚生省の取扱いこそが特許権の存続期間が事実上大幅に延長することを防止し、特許権者と第三者の利害を最も妥当に調整するものである。
第四 争点1(薬事法に基づく製造承認を得るために必要な資料を調える目的で、本件特許権の存続期間中に本件特許発明の技術的範囲に属するドンペリドン及びこれを有効成分とする被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は、本件特許権を侵害するものであるか)、及び争点2(本件特許権の存続期間満了後に、本件特許権に基づく妨害排除請求権等に基づき、本件特許発明の技術的範囲に属するドンペリドンを有効成分とする被告製剤の製造販売の差止め等を請求することができるか)に対する当裁判所の判断
一1 被告らは、前記第二の一5のとおり、本件特許権の存続期間満了後に本件特許発明の技術的範囲に属するドンペリドンを有効成分とする被告製剤を販売する意図で、その存続期間中に、被告製剤について本件医薬品の後発医薬品として厚生大臣による薬事法一四条所定の製造承認を得ることを目的として、ドンペリドン及び被告製剤を用いて、本件各試験、すなわち規格試験、加速試験及び生物学的同等性試験をし、その結果得られた資料を添付して製造承認申請をし、製造承認を得た上、薬価基準収載申請をして平成八年七月五日、同収載を受けたものであり、そして、同6のとおり、本件各試験に用いるためにドンペリドン及びこれを有効成分とする被告製剤を製造したものである(但し、被告共和薬品工業らは、「試作」と表現している)。但し、被告共和薬品工業らのうち、被告沢井製薬株式会社及び被告帝国化学産業株式会社は、薬事法一二条一項括弧書きの「小分け」の製造承認を受けたものであるから、自社では原末・被告製剤について規格試験を行っただけであり、加速試験及び生物学的同等性試験は他社の試験結果を援用したものであると主張し、自社で右両試験を行ったことを否認するところ、少なくとも本件各試験のうちの規格試験は行ったものであるから、この点の認定判断はしばらくおく。
被告らのドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は、右のとおり薬事法一四条所定の製造承認を得ることを目的として行ったものであり、現実に市場で販売するのは本件特許権の存続期間満了後になるとはいえ、被告製剤を市場で販売するために、まさに被告らの事業活動の一環としてなされたものであるから、特許法六八条にいう「業として」の「特許発明の実施」に該当するといわなければならない。
2 被告共和薬品工業らは、ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造(試作)が本件特許発明の「実施」に当たることを争い、その理由として、被告らが必要な最少量を試作して行った本件各試験は、本件特許発明の対象物の本来の用途、目的である制吐剤等の医薬品としての試験ではなく、試作もその限度のものであるから、本件特許発明の対象物の使用、製造、すなわち「実施」に当たらないと主張するが、本件各試験は、被告製剤の本来の用途、目的である制吐剤等の医薬品としての効用を得ること自体を直接の目的とするものではないとしても、被告製剤がその本来の用途、目的である制吐剤等の医薬品としての効用を発揮することを確保することを目的とするものであるから、本件特許発明の「実施」の一態様である使用、製造に当たることは否定できない。
3 また、被告共和薬品工業らは、ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造(試作)が本件特許発明の「業としての実施」に当たることを争い、その理由として種々主張するが、以下のとおりいずれも失当というべきである。
まず、被告共和薬品工業らは、本件各試験や個人的、家庭的な実施等市場原理の働かない態様の実施の場合には、市場から隔離されて内部で自己完結的にその発明が使用され、その使用によっては実施者が利益を得る余地がなく、しかも市場において特許権者と競業関係に立つものではなく、特許権者に経済的損失を発生させる余地がないので、これを特許権者の排他的独占権が及ぶ効力の範囲外に位置させても、特許権者に何らの損害も与えないから、権利侵害としての「業としでの実施」ではないと考えるべきであると主張するが、被告らのドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は、前記のとおり現実に市場で販売するのは本件特許権の存続期間満了後になるとはいえ、被告製剤を市場で販売するために、まさに被告らの事業活動の一環としてなされたものであるから、これを個人的、家庭的な実施と同列に論ずることはできず、被告らが利益を得る余地がなく、しかも市場において特許権者と競業関係に立つものではなく、特許権者に経済的損失を発生させる余地がないとしても、「業としての実施」であることを否定することはできない。
被告共和薬品工業らは、医薬品についての製造という「実施」は、厚生大臣の製造業の許可及び製造承認を得て初めて法律上可能となり、それ以前には行われないため、被告らは、薬事法の要請に従い、本件特許権の存続期間満了後の実施に向けて事業の準備として本件各試験を行ったにとどまり、特許法二条三項一号の意味における実施は行っていないとも主張するが、医薬品を製造するには薬事法に基づく厚生大臣の製造業の許可及び製造承認を得ることが必要であるとしても、それは薬事法上の問題であり、右許可及び承認を得る前の行為であるからといって、特許法二条三項一号の意味における実施に当たらないということにはならない。
被告共和薬品工業らは、特許法六七条二項は、「その特許発明の実施をすることが二年以上できなかった」ことを延長登録出願の要件としており、特許自体が、薬事法に基づく製造承認の申請に始まる審査期間中は「特許発明の実施」ができないこと、換言すれば特許権設定登録後製造承認前に行われる臨床試験が、特許発明の実施に当たらないか、少なくとも業としての実施に当たらないことを明らかにしている旨主張する。しかし、右六七条二項は、同条項にいう「特許発明の実施」が本件各試験のような医薬品の製造承認申請のための試験による使用及びそのための製造を含まないことは規定自体から明らかであって、二条三項一号と相まって特許権者が専有する権利の範囲を定めた六八条とはその立法趣旨を異にするものである。
更に、被告共和薬品工業らは、改正法附則五条二項を援用するが、同条項は、前記1説示の解釈の妨げとなるものではない。
二 そこで、ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造(試作)は特許法六九条一項にいう「試験又は研究」のためにする特許発明の実施に該当するから、本件特許権の効力は及ばない旨の被告らの主張について、判断する(なお、この点についての被告東和薬品の主張は、明確性を欠くものの、従来の判例や学説の解釈に直ちに合致しない部分があるとしても、本件のような訴訟が生じてみると、今まで深くは検討されてこなかった事実関係に対し、総合的判断として、特許法二条の規定する業としての「実施」に該当しないと解釈し、あるいは特許法六九条を適用することは何らおかしなことではない、というのであるから、結局、被告共和薬品工業らの主張と同旨に帰するものと解される)。
1 特許法六八条は、特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有すると定めて、特許権者に特許発明の実施を独占することを認めているが、特許法は、「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする。」とし(一条)、特許権者による特許発明の実施の独占を一定期間に限って認めることにより、発明を奨励するとともに、その発明を社会に公開させて社会一般の技術水準の向上を図り、一定期間経過後は万人がこれを自由に利用することを認め、もって「産業の発達に寄与すること」を目的とするものであるから、特許権者の特許発明の実施の独占による利益は、社会一般の利益による制約を免れないところである。
しかして、特許法六九条一項は、「試験又は研究のためにする特許発明の実施」には特許権の効力が及ばない旨規定し、右の「試験又は研究」の目的、内容、種類については何ら限定を付していないところ、右規定は、特許権の効力を試験又は研究のためにする特許発明の実施にまで及ぼすことは、かえって技術の進歩を阻害し、産業の発達の妨げになるため、これを制限すべきであるとの産業政策上の判断に基づくものと解され、特許権者の特許発明の実施の独占による利益と社会一般の利益との調和を具体化した一場面を定めたものと解されるから、同条項にいう「試験又は研究」も、かかる観点から解釈されるべきである。
一般に、試験研究として行われる特許発明の実施は、その性質上、特許権者と直接競業する形態で行われるものではなく、特許権者の経済的利益を直接害するものではないことに鑑みると、右「試験又は研究」は、特許発明にかかる技術を改良し、更に発展させることを目的とするような試験研究に限るのは相当でなく、例えば、特許発明の技術内容を確認ないし理解すること(機能性調査)を目的として行われる試験研究は、公開された発明の技術内容が当業者に理解されることを前提としている特許法の趣旨からしてこれに該当すると解すべきであるし、従来技術と対比して新規性、進歩性があるか否かを確認すること(特許性調査)を目的として行われる試験研究も、特許の要件が備わっていないのに誤って付与された特許について特許異議の申立てや無効審判請求の制度を設けている特許法の趣旨に合致するものであるから、右「試験又は研究」に該当すると解すべきである。
2 更に、本件各試験のような薬事法に基づく(後発)医薬品の製造承認申請のための試験が右「試験又は研究」に該当するかについて、検討する。
(一) 薬事法は、医薬品等の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、医療上特にその必要性が高い医薬品等の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより、保健衛生の向上を図ることを目的とするもので(一条)、医薬品を製造するには、厚生大臣の承認を受けることを要するものとし(一二条一項、一三条一項、一四条一項)、右承認は、申請にかかる医薬品の名称、成分、分量、構造、用法、用量、使用方法、効能、効果、性能、副作用等を審査して行うものであり(一四条二項)、そのため、右承認を受けようとする者は、厚生省令で定めるところにより、申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならない(同条三項)としている。本件各試験は、右のとおり薬事法に基づく製造承認の申請書に添付することが要求されている資料を得るために行われたものであるから、被告製剤の製造を薬事法上可能にすることを主たる目的として行われたことは否定することができない。
しかしながら、そのことだけで直ちに前記「試験又は研究」に該当しないとするのは相当でなく、前記特許法の趣旨に照らし、特許発明の実施により特許権者の被る不利益と社会一般の利益との調和を勘案しつつ、具体的に検討する必要がある。
(二) 被告製剤が本件医薬品の後発医薬品であることから、その製造承認の申請書には、前記第二の一(基礎となる事実)5記載の資料を添付することが要求され(薬事法一四条三項、同法施行規則一八条の三、昭和五五年五月三〇日薬発第六九八号厚生省薬務局長通知〔甲一八の2〕、同日薬審第七一八号同局審査課長・生物製剤課長通知〔甲一八の3〕)、そのために被告らが行った本件各試験、すなわち規格試験、加速試験、生物学的同等性試験の内容は、右各書証及び甲第一八号証の4(厚生省薬務局審査課監修・医薬品製造指針一九九四年版)並びに弁論の全趣旨によれば次のとおりであることが認められる。
(1) 規格試験は、医薬品の品質を確保するための、三ロット以上の試料に基づく試験であり、申請書に添付する資料には、錠剤等である被告製剤については、原則として名称、含量規格、性状、確認試験、製剤試験(重量偏差試験、崩壊試験、含量均一性試験)、定量法を記載することが要求される。
(2) 加速試験は、一定の流通期間中の品質を短期間で推定するために実施するものであって、具体的な試験方法は、検体:最終製品(被告製品)、検体数:保存条件ごとに三ロット、保存条件:(1)原則として四〇℃(±一℃)七五%RH(±五%)、(2)室温、試験期間:六か月以上、測定時期:試験開始時を含め四時点以上、測定項目:原則として承認申請書の規格及び試験方法欄に設定した全項目、測定回数:三回、というものである。
(3) 生物学的同等性試験は、新医薬品として承認を与えられた医薬品(又はそれに準ずる医薬品)と生物学的に同等であることを証明するために実施するものであって、具体的な試験方法は、適切な統計的処理が可能となる例数の原則として健康人を対象として、最終製品(被告製剤)の臨床常用量を臨床投与経路により原則として一回投与し、適切な休薬期間を置いた交叉試験法により血中濃度を比較する方法により行うものである。
(三) しかして、乙第一三号証及び弁論の全趣旨によれば、右認定のような本件各試験に当たっては、被告製剤が本件特許発明の実施品である本件医薬品の後発医薬品であるとはいえ、原告が製造承認申請書に記載した製造方法は公開されておらず、本件特許発明にかかる明細書に記載されたところに依拠するのみでは現実に製剤として商品化することはできないので、本件医薬品のような先発医薬品を開発する場合と比較すれば、格段に費用が少なく期間が短くてすむとはいえ、それなりの知識、技術、経験に基づき、製剤の安定性、均一性を確保し、本件医薬品と同程度の有効性を発揮させるよう、各種の添加物(賦形剤、安定化剤、崩壊剤、コーテイング剤等)を検討し、服用しやすい剤型を工夫するなどの技術開発が必要であると認められるのであり、かかる本件各試験は、前記のとおり薬事法に基づく製造承認の申請書に添付することが要求されている資料を得るために行われ、被告製剤の製造を薬事法上可能にすることを主たる目的として行われたものであるとはいえ、同時に、右のような技術開発としての側面をも有するものといわなければならない。
(四) 他方、ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は、原告と直接競業するような特許発明の実施ではなく、本件特許権の存続期間中において本件特許発明にかかる医薬品を市場において独占的に製造、販売できるという原告の地位を何ら脅かすものではない。
もつとも、仮に被告らが本件特許権の存続期間中に本件各試験を行うことが許容されず、その存続期間満了を待って本件各試験に着手しなければならないとすれば、前記のとおり本件各試験のうちの加速試験は、前記(二)(2)のとおり六か月以上の試験期間が要求されており、また、医療用の後発医薬品について、都道府県知事がその製造承認申請を受理した日から厚生大臣が当該医薬品に承認を与えるまでの標準的事務処理期間は、当分の間二年間とされていることは当裁判所に顕著な事実であるから、後発医薬品会社は、本件特許権の存続期間満了後約二年六か月間は本件特許発明の技術的範囲に属する後発医薬品を製造、販売することができず、その結果、原告は、事実上、存続期間満了後更に約二年六か月間は本件特許発明にかかる医薬品の製造販売を独占できることになるところ(但し、原告は、試験の開始から、右製造承認を経て、薬価基準収載に至るまでの所要期間は二七か月を下らないとする)、被告らが存続期間中に本件各試験を行うことが許容されれば、かかる独占による利益を享受しえないことになる。この点について、原告は、特許権者たる原告は、その存続期間満了後更に二七か月間は、本件特許発明の実施品たる本件医薬品を独占的に製造、販売することのできる有利な地位を享有することになり、すなわち、現行法体系全体の中から生じてくる法的利益として、その存続期間満了後も二七か月間はこれを独占的に製造、販売しうる権能を法律上有しているのであると主張する(第三の二【原告の主張】1(一))。しかし、右製造承認制度は、前記のとおり医薬品等の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制であり、製造販売の独占による特許権者の利益を保障する特許法とは全く異なるものであって、もとより、かかる特許権者の利益を保障するものではないから、右のような原告の利益は、薬事法に基づく製造承認制度及び薬価基準収載制度によりもたらされる反射的な利益にすぎず、それ自体法律上保護に値する利益には当たらないというほかない。
(五) 以上のように、本件各試験は、多かれ少なかれ技術開発としての側面を有し、他方これによって失われる原告の利益が法律上保護に値する利益とはいえないことに鑑みると、ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は、前記(一)の説示に照らし、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当すると解するのが相当というべきである。もっとも、本件特許権の存続期間満了後に市場で販売するのに備えて、存続期間中に被告製剤を製造して蓄積しておくようなことも、存続期間中において本件特許発明にかかる医薬品を市場において独占的に製造、販売できるという原告の地位を脅かすものではないとはいえるが、右「試験又は研究」に該当しないことが明らかであり、許容されるものではない。
3 原告は、特許権の効力が及ばない「試験又は研究」とは、その特許発明の技術を更に進歩させるものでなければならないから、技術を更に進歩させる目的を有することが不可欠であるところ、被告らの行った本件各試験は、結局、ドンペリドン製剤について、既に公知であり確立されている先発医薬品の活性成分の有効性と安全性に関するデータではなく、先発医薬品と同じ活性成分を含んだ製剤が、先発医薬品と<1>製剤中の活性成分の含量が同じであり、<2>同等の保存安全性を有し、<3>人に投与した場合、同等の血中濃度パターンを示すか、という同等性の確認の資料を得るものであるにすぎず、いかなる意味においても、その特許発明にかかる技術を更に進歩させる目的を有するものではありえないから、到底、特許法六九条一項にいう「試験又は研究」には該当しない旨主張する。
しかし、前記のとおり、もともと特許法六九条一項は特許権の効力が及ばないとする「試験又は研究」の目的、内容、種類については何ら限定を付していないし、本件各試験は技術開発としての側面を有するものであるから、右「試験又は研究」と解するのを妨げないというべきである。
また、原告は、ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造が、実質的に違法と評価されないとして本件特許権を侵害しないと解することは、GATT・TRIPS協定二七条一項に違反すると主張するが(第三の一【原告の主張】3)、採用することができない。このことは、同協定の有力な加盟国である米国がいわゆるボーラー条項を有するにもかかわらず、ボーラー条項を有するが故に協定違反であるとして国際社会で非難されたということはないことが弁論の全趣旨により認められることからも裏づけられる。
確かに、特許権自体は成立しても特許発明にかかる医薬品について薬事法に基づく製造承認を得るまでの期間は、特許権者といえども当該医薬品を製造、販売することができないから、事実上特許権の存続期間が侵食される結果となっていることは否定できないが、そのことによる特許権者の不利益の救済は、特許法六七条二項の存続期間の延長登録制度により解決が図られるべきものであり、現行の六七条二項の程度では不十分であるというのであればその改正が考えられべきであり、いずれにしても特許政策ないし産業政策という立法政策の問題である。
三 以上のとおり、ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は、特許法六九条一項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当すると解するのが相当であるから、本件特許権を侵害するものとはいえない。
原告の本件請求は、本件特許権に基づく妨害排除請求権、特許法を含む産業的取引社会の公正な法秩序に基づく排除請求権、発明の独占的占有に基づく不当利得返還請求権のいずれを根拠とするものも、結局、ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造が本件特許権を侵害する違法なものであることを前提とするものであるから、前提を欠き、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。
本件特許権に基づく妨害排除請求権について付言するに、原告は、特許権に対する妨害が特許権の存続期間満了後も存続するような場合には、妨害状態の継続する限り存続すると解さなければ、特許権という準物権の有している対象物の完全かつ円満な利用収益という本来の目的を達成しえないと主張するが、特許法は特許権者は特許権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防などを請求することができるものとして(一〇〇条)、特許権を物権に準ずるもののように定めるとともに、その存続期間は特許出願の日から二〇年をもって終了すると明確に定めている(六七条一項)のであるから、物権法定主義の趣旨に照らし、特許権は存続期間の満了により対世的、絶対的に消滅するものと解すべきであり、その消滅した特許権に基づく妨害排除請求権が存しないことは明らかである。原告は、その主張の正当性の根拠として、いわゆる中間省略登記の中間者による抹消請求権についての最高裁判例を援用するが、これは、実際の権利変動の過程と登記簿上の記載との不一致という事実を前提として、中間者が正当な利益を有するときに限り、抹消登記を請求できる余地を認めるものであり、かかる前提のない特許権の存続期間満了後における差止請求権の根拠とすることはできない。特許法を含む産業的取引社会の公正な法秩序に基づく排除請求権なるものについては、その特許権が存続期間の満了により対世的、絶対的に消滅しているのであるから、これとは別に右のような排除請求権を認める余地はない。また、ドンペリドン及び被告製剤を用いてした本件各試験及びそのための製造は本件特許権を侵害するものではないから、被告らは、法律上の原因なくして、利益を得たものでも原告に損失を及ぼしたものでもない。
第五 結論
よって、原告の被告らに対する請求をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する(平成九年一二月一八日口頭弁論終結)。
(裁判長裁判官 水野武 裁判官 小出啓子 裁判官田中俊次は、転補につき署名押印することができない。 裁判長裁判官 水野武)
別紙
物件目録
左式で示す5-クロロ-1-〔1-〔3-(2-オキソ-1-ベンゾィミダゾリニル)プロピル〕-4-ピペリジル〕-2-ベンゾィミダゾリノン(一般名:ドンペリドン)
<省略>
<13>日本国特許庁(JP) <11>特許出願公告
<12>特許公報(B2) 昭61-31109
<31>Int.Cl.4C 07 D 401/14 A 61 K 31/44 31/445 C 07 D 413/14 417/14 //(C 07 D 401/14 211:00 235:00) (C 07 D 401/14 211:00 235:00 249:00) (C 07 D 413/14 211:00 235:00 263:00) (C 07 D 417/14 211:00 235:00 277:00) 識別記号 ACP 庁内整理番号 7431-4C 7431-4C 7431-4C <24><44>公告 昭和61年(1986)7月17日
発明の数 2
<34>発明の名称 新規な1・(ペンゾアゾリルアルキル)ピペリジン誘導体
<21>特願 昭51-85216 <65>公開 昭52-17475
<22>出願 昭51(1976)7月19日 <43>昭52(1977)2月9日
優先権主張 <32>1975年7月21日<33>米国(US)<31>597793
<32>1976年5月17日<33>米国(US)<31>687139
<72>発明者 ジヤン・バンデンペルク ベルギー国2340ビールセ・ケンペンラーン15
<72>発明者 ルド・イー・ジエイ・ケニス ベルギー国2350フオゼラール・パークラーン5
<72>発明者 マルセル・ジエイ・エム・シー・フアン・デル・アー ベルギー国2350フオゼラール・メレラーン46
<72>発明者 アルペルト・エイ・エム・テイーエイチ・フアン・ヘールトウム ベルギー国2350フオゼラール・アルペルトストラート10
<71>出願人 ジヤンセン・フアーマシユー・チカ・ナームローゼ・フエンノートシヤツプ ベルギー国2340ビールセ・トウルンホウトセバーン30
<74>代理人 弁理士 小田島平吉
審査官 塚中直子
<37>特許請求の範囲
1 式
<省略>
〔式中、
R1及びR2は水素、ハロ、低級アルキル及びトリフルオロメチルから成る群からそれぞれ独立的に選ばれ、
Bは二価の基
<省略>
=N-及び-N=CH-、から成る群から選ばれた一員であり、ここでLは水素、低級アルキル、低級アルキルカルボニル及び低級アルケニルから成る群から選ばれた一員でありそして該二価の基はそれらのヘテロ原子によりベンゼン核に結合しており、
R3は水素及びメチルから成る群から選ばれた一員であり、
m及びnはそれぞれ1乃至2の整数でありそし
て基<省略>は、
式
<省略>
(式中、R7及びR8は水素、ハロ、低級アルキル及びトリフルオロメチルから成る群よりそれぞれ独立的に選ばれ、YはO及びSから成る群より選ばれた一員であり、Mは水素、低級アルキル及び低級アルキルカルボニルから成る群よる選ばれた一員であり、そして破線はピペリジン核の3及び4位置の炭素原子間結合が適宜二重結合であってもよいことを示し、ただしYがSである場合にはピペリジン核の3及び4炭素原子間は単結合でありそしてMは水素であるものとする)
を有する基である〕
で示される1-(ペンゾアゾリルアルキル)ピペリジン誘導体及びその医薬的に許容し得る酸付加塩から成る群より選ばれた化合物.
2 5-クロロ-1-{1-〔3-(1・3-ジヒドロ-2-オキソ-2H-ベンゾイミダゾール-1-イル)ープロピル〕-4-ピペリジニル}-1・3-ジヒドロー2H-ペンゾイミダゾール-2-オン及びその医薬的に許容し得る酸付加塩から成る群より遇ばれた特許請求の範囲第1項記載の化台物.
3 活性成分として式
<省略>
〔式中、R1及びR2は水素、ハロ、低級アルキル及びトリフルオロメチルから成る群からそれぞれ独立的に選ばれ、
Bは二価の基
<省略>
=N-及び-N=CH-、から成る群から選ばれた一員であり、ここでLは水素、低級アルキル、低級アルキルカルボニル及び低級アルケニルから成る群から選ばれた一員でありそして該二価の基はそれらのヘテロ原子によりペンゼン核に結合しており、
R3は水素及びメチルから成る群から選ばれた一員であり、
m及びnはそれぞれ1乃至2の整数でありそし
て基-<省略>は、
-式から成る群から選ばれた一員であり、ここで
<省略>
(式中、R7及びR8は水素、ハロ、低級アルキル及びトリフルオロメチルから成る群よりそれぞれ独立的に選ばれ、YはO及びSから成る群より選ばれた一員であり、Mは水素、低級アルキル及び低級アルキルカルボニルから成る群より選ばれた一員であり、そして破線はピペリジン核の3及び4位置の炭素原子間結合が適宜二重結合であつてもよいことを示し、ただしYがSである場合にはピペリジン核の3及び4炭素原子間は単結合でありそしてMは水素であるものとする)
を有する基である〕
で示される化合物又はその医薬的に許容し得る酸付加塩を含有することを特徴とする制吐剤.
4 該式(Ⅰ)化合物又はその医薬的に許容し得る酸付加塩の制吐的有効量と不活性担体物質とを含有して成る特許請求の範囲第3項記載の剤.
5 投与単位当り制吐的右効量の式(Ⅰ)化合物又はその医薬的に許容し得る酸付加塩を、医薬的担体との混合物として含有して成る投与単位形態の特許請求の範囲第3項記載の剤.
6 医薬的担体が固体の摂取可能な担体である特許請求の範囲第5項記載の剤.
7 医薬的担体が液体の摂取可能な担体である特許請求の範囲第5項記載の医薬的組成物.
8 医薬的担体が非経口的使用に適した無菌の液体である特許請求の範囲第5項記載の医薬的組成物.
9 投与単位当り制吐的有効量の5-クロロ-1-{1-〔3-(1・3-ジヒドロ-2-オキソ-2H-ペンゾイミダゾール-1-イル)プロピル〕-4-ピペリジニル}-1・3-ジヒドロ-2H-ペンゾイミダゾール-2-オン及びその医薬的に許容し得る酸付加塩を、医薬的担体との混合物として含有して成る投与単位形態の特許請求の範囲第5項記載の剤.
発明の群細な説明
従来技術において多数のベンゾアゾリルアルキル及びインドリルアルキル置換ピペリジン誘導体並びに多数のアミノアルキル置換ベンゾアゾールが見出されており、それらのいくらかは薬理学的活性、たとえば抗抑制性(antidepressant)、鎮痙性(anticonvulsant)、抗ヒスタミン(antihistaminic)又は抗痙攣性(antispasmogenic)活性を有する.
異なつている点の中でも特に、本発明の化合物はそれらの構造内のそれぞれペンゾアゾール及び/又は置換ピペリジン部分の性質によりかかる公知化合物とは異なつている.
多数の前記従来技術の化合物は下記の参考文献中に見出すことができる.
Int.Pharmacopsychait.1968(1)P.214;
C.A.、64、2093b(1966);
C.A.、72、111466(1970);
C.A.、81、120632b(1974);
フランス特許第2042321号(Derw.Fr.WeekS16、Pharm.P.12);及び
ベルギー特許第753472号.
本発明の新規1-(ペンゾアゾリルアルキル)ピペリジン誘導体は、構造的には下記式により表わすことができる:
<省略>
及びその医薬的に許容され得る酸付加塩.
上記式中、R1及びR2は水素、ハロ、低級アルキル及びトリフルオロメチルから成る群からそれぞれ独立的に選ばれ、
Bは二価の基
<省略>
特許公報
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<省略>